【衝撃】本木雅弘もジャニー喜多川の性加害の被害者だった?東山新社長に大激怒の理由とは?

【衝撃】本木雅弘もジャニー喜多川の性加害の被害者だった?東山新社長に大激怒の理由とは? 芸能ニュース

ジャニー喜多川氏の性加害が暴露され、連日ジャニーズ事務所の話題が取り沙汰されています。

そんな中「ジャニーズ性加害問題当事者の会の代表」として、ジャニー喜多川氏の性加害問題を追及している平本潤也さん。

その平本潤也さんの同期と言われているのがシブがき隊です。

今回は、シブがき隊の中で本木雅弘さんの性被害についてご紹介するとともに、本木雅弘さんだけが干された理由についてもお話ししていきます。

合宿所でおきた真実

イギリス公営放送局BBC制作のドキュメンタリー番組にも企画段階から参加し、積極的な活動を行ってきた平本潤也さん。

そんな平本潤也さんですが、現在57歳です。

平本潤也さんと同時期に活躍したメンバーは1980年にジャニーズへ入所したシブがき隊のメンバー全員だとわかっています。

本木雅弘さん、薬丸裕英さん布川敏和さん全員、平本潤也さんより学年は一つ上で、平本潤也さんはシブがき隊のバックダンサーを務めたこともあります。

同期で一緒に仕事をしていたことから、シブがき隊の3人と顔見知りだったのは間違いないでしょう。

そんな平本潤也さんは、ジャニー喜多川氏から性被害を受けていたと告白しています。

未成年タレントらが寝起きする「合宿所」に出入りしていたジャニーズJr.当時、平本潤也さんはジャニー喜多川氏に夜な夜な体を弄られ「恋人レベルにならないとスターになれない」と感じつつ、それ以上の接触には耐えられなかったと言います。

夜な夜な「痛っ」と叫ぶ仲間の声も聞いていたそうです。

また、ベッドの中で「You、もうすぐデビューだね」などと言われながら、ジャニー北川氏からキスをされたり性器を触られたりしたと言います。

そして、「警察も世間もマスコミも、まともに取り合ってくれなかった」と後に語っています。

ジャニーさんと性交すればデビュー、拒否すればデビューはできないと未成年の少年が芸能界の現実を知ることになるわけです。

そんな性被害を受けた平本潤也さんの同期でありシブがき隊としてデビューした「モッ君」こと本木雅弘さんが「性被害を受けていないわけがない」と言われ、平本潤也さんとは比べ物にならないものと言われているのです。

本木雅弘が東山新社長に大激怒の理由とは?


ある関係者はこのように話しています。

「モッ君は、当時スタッフの間でかなり有名でしたよ。オムツしてましたから。やられすぎて漏れてたので、スタッフが撮影時洗うの大変で・・。だから大御所の娘とご結婚され守ってもらったのでしょう。それでも一時的にホタされたみたいですね。てか、売れるためには、みんな体を売るのは当たり前の世界です。韓国なんてもっと酷いし、女性アイドルなんて枕してなんぼでしょうから。夜の世界同様、そんなに甘くないです。」と語っています。

平本潤也さんに対しても「来年にはゆうは大スターだよ」などと、ケツを貸せばデビューできることをほのめかしていたジャニー喜多川氏のことなので、デビューするためにユルユルになるまでお尻を貸した本木雅弘さんが、オムツ必須になるのはおかしい話ではありません。

今回の記者会見で、ジャニーズ事務所の新社長となった東山紀之さんは1979年入所であり、シブがき隊の3人のメンバーよりも入所は早かったのです

合宿所でも切磋琢磨し、シブがき隊のバックダンサーとして踊っていたので、本木雅弘さんの性被害を知っていた可能性も高く、ジャニー喜多川氏の性加害については知らないはずがないのです。

今回のジャニーズ性加害事件は、知らなかったで済まされるような事件ではなく、真摯に向き合わなければいけない事件です。

多くの被害者たちが納得するような処置が取られるのでしょうか?

ジャニーズ性加害問題からは、まだまだ目が離せない状況です。

本木雅弘だけが干された理由

次に本木雅弘さんだけが干された理由についてお話しします。

本木雅弘さんはジャニーズ事務所退所後、ジャニーズのタレントとほぼ共演していません。

しかし、同じシブがき隊の薬丸裕英さんや布川敏和さんは、そのような扱いを受けていません。

なぜこの差が生まれたのでしょうか。

薬丸さんは最初ジャニーズに残りましたが1年も経たないうちに移籍しました。

布川さんは解隊後、すぐに別の事務所に移籍しています。

しかし、薬丸さんと布川さんはメリー氏の進めるプロダクションに入ったそうですが、本木雅弘さんはメリー氏の意向を組まずに自分の行きたい事務所を選んだとのこと。

そのため、メリー氏の逆鱗に触れ圧力が及んだと言います。

ただ、本木雅弘さんがジャニーズと共演できなくなったのは1990年代半ば以降です。

1980年代からメリー氏は他の事務所から男性アイドルが出れば、メディアに圧力をかけてきたと言われています。

しかし、テレビで言えば歌番組にしか効力はなく、バラエティーやドラマでは「そのタレントを使うなら、うちは全員出ない」と言えるほどのパワーのあるタレントが揃っていたわけではないからです。

光GENJIが1987年にデビューして国民的アイドルになりましたが、3年くらいで人気は落ち着き、1991年デビューのSMAPも最初はそんなに売れていませんでした。

そのため、1990年代前半はメリー氏の圧力が広範囲に及ぶことはなかったと言われています。

本木雅弘さんが役者として大成できたのは、本人の能力の高さが最大の原因ですが、活躍の場が遮断されなかったことも大きかったそうです。

本木雅弘さんは役者としてだけでなく、1992年には井上陽水作詞作曲の「東へ西へ」で、NHK紅白歌合戦に出場。

1993年4月から1年間、NHKの歌番組「ポップジャムズ」の司会を務めました。

しかし事態はだんだんと変化していきます。

1993年に木村拓哉さんが、ドラマ「あすなろ白書」で高視聴率に貢献。

1994年にSMAPが「Hey Heyおおきにに毎度あり」「がんばりりましょう」などのヒット曲を出し、中居正広さんや香取慎吾さんがバラエティ界に進出しました。

この辺りから歌番組だけでなく、テレビのすべてのジャンルにジャニーズのタレントが出演するようになり、視聴率を稼いでいきました。

そして、報告書にあるメリー喜多川氏は、ドラマの共演者が気に入らないと、その放送局の社長に直接電話をかけ、外すよう要求することもあったという行為が生まれたようです。

週刊誌記者は「SMAPが国民的な人気グループになってから、メリー氏の振る舞いがさらに横暴になった。業界では周知の事実でした。だから近年は圧力ではなく忖度という言葉が使われてきた。何にもないのに忖度なんてしません。過去に圧力があったから、自然と忖度するようになった。メリー氏の思い通りの展開でしょうね。奥山氏のように圧力に屈しないプロデューサーがいれば、また状況は違ったと思いますが。」と語っています。

本木雅弘さんは、ジャニーズ事務所の圧力が及ばない時期に役者としての地位を築き、その後も活躍しました。

しかし、2019年東京ドームでジャニー喜多川氏のお別れの会が開催されたとき、本木雅弘さんは出席していません。

それはさんざん自分の活動を妨害してきたメリー氏に会いたくなかったからと言われてます。

今後、本木雅弘さんのような被害を受ける人がいなくなるよう、忖度について記者会見でも出た通り、今後簡単になくすことは難しく協力が必要と考えられます。

被害拡大の原因とされたメリー氏の振る舞いに屈してきたメディアも反省し、改善が必要だと考えられます。

まとめ

いかがでしたか。

今回は、シブがき隊の中で本木雅弘さんの性被害についてご紹介するとともに、本木雅弘さんだけが干された理由についてもお話ししてきました。

ジャーニー喜多川氏による性加害の実態について、連日テレビでは大きな問題として取り上げられていますが、ジャニーズ事務所の体制改革も含め、これからも注目していきたいところです。

最後まで、ありがとうございました。

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