バラエティ番組をはじめ、テレビで見ない日は無いといっても過言でない活躍のヒロミさん。
そんな彼ですが、過去に大変な人気で飛ぶ鳥を落とす勢いから、急にテレビから姿を消したことがありました。
その期間は10年にも及び、様々な憶測から噂が絶えませんでしたが、一体何があったのでしょうか?
今回は、ヒロミが芸能界を干された驚愕の事実や、空白の10年からの復帰は松本伊代の一言だった事についてお話していこうと思います。
ヒロミのプロフィール!
性別:男性
生年月日:1965年2月13日(57歳)
身長:175cm
出身:東京都八王子市
最終学歴:昭和第一学園高等学校
所属事務所:ビィーカンパニー
ヒロミさんの少年時代は照れ屋で大人しく、優しい性格だったそうです。
しかし、兄がヤンチャだった影響で中高生当時は、暴走族の一員となり八王子を拠点に活動していました。
ある日、車の事故で入院中だったヒロミさんは、バラエティー番組を見ながら「自分でもやれる」と確信し、お笑い芸人になることを決意したといいます。
1985年、都内のホストクラブに勤めていたヒロミさんは、お笑い芸人になるために同僚の中からルックスが良くアイドル志望だったデビット伊藤さんと、ミュージカル役者兼ダンサー志望だったミスターちんさんを必死で口説き落とし、お笑いの世界に引き込む事に成功します。
こうして1986年「B21スペシャル」が誕生しました。
当時は、おしゃれ感のない若手芸人が多かったことから、ヒロミさんの提案で3人の衣装はおしゃれなDCブランドになったそうです。
デビュー当初は、ショーパブやライブで実力をつけていき、本格的にテレビに進出すべく、横山やすしさんが司会を務めていた番組「ザ・テレビ演芸」に出演します。
そして「とびだせ笑いのニュースター10週勝ち抜きシリーズ」で10週勝ち抜き、4代目チャンピオンを獲得します。
最終週で披露した「六本木ステーション」というネタは、審査員の糸井重里さんに「ネタだけなら今売れている芸人の誰にも負けない」と言わしめるほどの完成度だったそうです。
こうしてヒロミさん含む「B21スペシャル」は、下積み時代をほとんど経験することなく、アイドルのような見た目とテンポの良いコントが高く評価され、多くの視聴者の支持を集めていきました。
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ヒロミが生死を彷徨った2度の大事故とは?
中高生時代、暴走族として地元の八王子を拠点にヤンチャをしていたヒロミさんですが、18歳の夏に友人2人を乗せた自動車で大事故を起こしてしまいます。
その事故でヒロミさんは、内臓破裂による重体で危篤状態となり生死を彷徨うことに。
この時、医者から家族に伝えられたのは「諦めてください」の言葉だったそうです。
破裂した脾臓をひとつ摘出する長時間の難手術だったそうですが、奇跡的に一命を取り留めています。
この時、ヒロミさんは母親から「あなたは長生きできないかもしれないから、好きな事をしなさい」といわれたといいます。
そして、この入院がきっかっけでお笑いの世界に進んでいくのです。
その後、1998年頃から巻き起こった「お笑い第3世代ブーム」に乗り、西のダウンタウン、東のウッチャンナンチャンと並ぶ人気お笑いグループに成長した「B21スペシャル」。
すでに多くのレギュラー番組や冠番組を抱え、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いのヒロミさんでしたが、またもや自身の番組内で大事故に遭い生死を彷徨う大怪我をしてしまします。
1991年9月放送「1or8」で、大量のロケット花火を背負って宇宙へ行こうという無謀な企画「ヒロミ宇宙へ」にチャレンジします。
すると、大量のロケット花火に着火されると僅かに体が浮き上がりましたが、大量の火花で身動きができなくなってしまいます。
結果、すぐに救助されるも深度3という大火傷を負ってしまい、またも生死を彷徨う事になってしまったのです。
この事故が原因で、番組は打ち切りとなってしまいましたが、ヒロミさんは懸命のリハビリの末に仕事復帰を果たすのです。
ヒロミが芸能界を干された驚愕の事実!
ヒロミさんは、1992年にデビュー当時から所属していた「人力舎」から独立し、自身が代表取締役の個人事務所「ビーカンパニー」を設立。
マネジメント業務は、田辺エージェンシーが担当することになります。
この頃のヒロミさんは、メンバーと社員の給与を支払うため、これまでに断ってきたピンの仕事も引きるけるようになり、番組MCの抜擢が多くなっていきます。
そして1993年11月には、かねてから交際していた松本伊代さんとゴールイン。
1995年には、第一子の凌央さんが誕生するなど、順風満帆な芸能生活をしていました。
ところが、ある時を境に芸能界から突如、姿を消してしまうのです。
一体何が原因だったのでしょうか?
1. 大物芸能人から干された説
ヒロミさんが芸能界から消えた理由として、まことしやかに噂されているのが堺正章さんを「マチャアキ」と呼んだからといわれています。
これに対しヒロミさんは、当時は堺正章さんをイジる事ができなかったといいます。
実際「ねえ、マチャアキ!」といった事があったそうですが、完全に無視されたそうです。
しかし、堺正章さんがヒロミさんを干したとの声には、後日ヒロミさんが堺正章さん本人に「噂は本当ですか?」と聞いてみたとのこと。
すると堺正章さんは「オレにそんな力があったら、干したい奴は他にいる」といわれたそうです。
2. パワハラが原因で干された説
次の原因が「後輩やスッタフ達への無自覚のパワハラ」が挙げられています。
以前「しくじり先生」に出演したヒロミさんは「10年間テレビから姿を消しちゃった先生」として出演し、ことの経緯を説明していました。
当時、絶頂期だったヒロミさんは、週10本のレギュラー番組を抱え最高月収は6,000万円を超え、完全に天狗になってしまったそうです。
そして、出演者や番組スタッフに「腹パン」をしていたようで、時には木村拓哉さんにも行っていたといいます。
さらに有名な話が、さま〜ず三村さんへのパワハラで、海外ロケに参加した三村さんに対し、リアクションが面白くないと徹底的なダメ出しをしたんだとか。
そして追い討ちかけるように「なんでお前が来たの?」とまでいってしまったのです。
これに、三村さんは大変ショックを受けたらしく、三村さん側から「ヒロミさんとの共演NG」を決断したというのです。
現在は、ヒロミさんが三村さんに当時の事を直接謝罪したそうで、ふたりの関係は仲直りしたそうです。
3. 年下とつるまないから説
ヒロミさんは当時、年下とつるんでも何も得るものはないと思い、ビートたけしさんや和田アキ子さんなど、大御所ばかりとつるんでいたそうです。
そのため年下からは「大御所とばかりつるみやがって」と妬まれ、ますます敬遠されてしまったみたいです。
4. スタッフと揉めた説
ヒロミさんが芸能界から干された理由のなかで、おそらく最も可能性が高い理由が「スタッフと揉めた」説です。
ヒロミさんの希望により企画された特別番組で、ヒロミさんは番組進行を無視した結果、スタッフと口論となったり、収録中にキレてディレクターと取っ組み合いの喧嘩をしたことなども告白しています。
さらにスタッフから「もうちょっとソフトにできない?」「頭叩くのはどうなんだろう?」などといわれた事に対し「俺はそんなことできない、それだったら辞めてもいい」と揉めたそうです。
すると「はい、ご苦労様」と返されたそうで、後にそれがきっかけで干されたと告白しています。
ヒロミさんはこの時、ちょうどレギュラー番組も終わり、年齢も40歳を目前にしていたようで「もういいかなと思った」と語っています。
また、ヒロミさんは「40過ぎたくらいに頑張ってんだけど、時代にあってねぇなと思った。時代、時代にフィットさせることってすごく難しいことだから」と、芸風の時代のずれを感じたことがテレビを離れた理由であるとも語っています。
空白の10年からの復帰は松本伊代の一言!
10年もの長い間、芸能界から姿を消していたヒロミさん。
その期間に何をしていたのか気になるところですが、実は実業家として大成功していました。
ヒロミさんは、自身の趣味を生かして加圧トレーニングジムやスパを経営しており、この事業だけでも年収が3億円以上といわれていました。
当時、カーヴィーダンスで一躍有名になった樫木裕実さんも、このジムのカリスマトレーナーとして勤務していたそうです。
そして、ヒロミさんは芸能界から離れ、経営者として人を雇う側になったことで、周りとの歩調を合わせることを学び、当時の自分の暴言に気づいたといいます。
自分の行動や言葉が暴力や暴言だとは思っておらず、そんなヒロミさんを怒ってくれる人もいなかったので、完全にお山の大将気取りになっていたと語っています。
そしてある日、毎日のように自宅でテレビを見ながら文句ばかりいっているヒロミさんに、妻である松本伊代さんは「文句があるならテレビに出て発言すればいいのに」といったそうなのです。
そんな松本伊代さんの一言をきっかけに、ヒロミさんは芸能界に復帰することになったのです。
まとめ
いかがでしたか。
今回は、ヒロミが芸能界を干された驚愕の事実や、空白の10年からの復帰は松本伊代の一言だった事についてお話ししてきました。
現在は、さまざまな番組に出演し、バラエティ番組などで大活躍のヒロミさんは、YouTubeチャンネルも登録者120万人をこえる人気ぶりです。
最近では、朝の情報番組でMCに抜擢されるのではと噂も聞こえていますが、ヒロミさん本人はこれに否定しているようです。
もうすぐ60歳を間近にして、松本伊代さんとふたりの人生プランを考えている事と思います。
これからのヒロミさんの動向に注目していきたいと思います。
最後まで、ありがとうございました。
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