【衝撃】諸星和己もジャニー喜多川の性加害の被害者?性合宿所でおきていた真実とは!

【衝撃】諸星和己もジャニー喜多川の性加害の被害者?性合宿所でおきていた真実とは! 芸能ニュース

創業者の故ジャニー喜多川氏の性加害問題で揺れるジャニーズ事務所で、新社長になることが発表された東山紀之さんについても少年への性加害疑惑が取り沙汰されていますね。

その中で今話題になっている、当時暴露本を出し、ジャニー喜多川氏の性加害を受けた一人として、名前が挙げられる木山将吾多川との出会いが運命的だったといいます。

また、連日報道されている性合宿所でおきていた真実はどうなのか、お話ししていこうと思います。

是非、最後までお付き合いください。

木山将吾さんがジャニー喜多川氏の性加害を告白

木山将吾さんは、1970年生まれで現在は50代の年齢で、元光GENJEの候補でデビューはできず、幻に終わったとされています。

そんな木山将吾さんが、2005年3月に「SMAPへ~そして、全てのジャニーズタレントへ~」を出版していますが、その本の内容には「僕はジャニー喜多川の愛人だった。15歳から17歳にかけての2年間、僕はこの老人の性の奴隷だった。」と書き出されており、ジャニーズの合宿所の間取りや、ジャニー喜多川氏から受けた性加害の詳しい内容として、ホルモン注射、盗聴器、性的虐待など赤裸々な内容となっています。

木山将吾さんが受けた性加害の中で最も卑劣だったものが、先述した「ホルモン注射」とのこと。

当時、光GENJIのメンバーでもある諸星和己さんに「次は木山君だから」と意味のわからないことを言われたそうです。

その「次は」というのがホルモン注射だったのではと言われています。

その注射は、デビューするためには打たなければいけないと噂になっており、その注射は成長を止めるホルモン注射との噂があり、ジャニーズとしていつまでも若々しさを保つため、童顔や身長の伸びを止めるといったものだったそうです。

そこまでして、ジャニーズのメンバーを維持したかったジャニー喜多川氏の思惑を考えると理解に苦しみますよね。

結果的に木山将吾さんは、その噂を耳にしていて注射を打つことを拒否したため、光GENJIからのデビューは幻になったと言われています。

このような発言があったこともあり、諸星和己さんを含む光GENJIのメンバー全員が、性被害にあったのではないかと噂されています。

諸星和己とジャニー喜多川との出会いが運命的!

諸星和己さんは、静岡県にて諸星家の次男として2980gで誕生し、和己という名前は祖母がつけた名前だそうです。

両親が米屋をしていましたが、あまり裕福ではなく祖父母の家で暮らし育てられたそうです。

そして、子供の頃に両親が離婚をしています。

諸星さんは、母に引き取られ家族はバラバラになりました。

仮面ライダーが大好きだった幼少時代、イタズラがひどくて幼稚園を辞めさせられたくらいやんちゃなガキ大将だったそうです。

小学校3年生の時に、少年野球のチームに入団して英語もこの頃に習い始めました。

小学校時代から女子にモテモテで、バレンタインに紙袋2個分のチョコをもらった過去があり、この頃からモテ人生が始まっていたんですね。

その後、富士市立石原北中学校に入学した諸星さんは、野球部に所属してポジションは一番サードでした。

なんと中学時代の諸星さんは、成績優秀でほとんどの教科が4か5で英語は3年間オール5、中2の時にテストで240人中6位になったそうです。

かっこ良くてやんちゃで頭が良い中学生、モテないわけがないですよね。

しかし、やんちゃは変わらなかったようで、あだ名は「要注意人物」でした。

中学2年生の13歳の頃、原宿の「竹の子族」を見るために男女混合の友達5人グループで家出をして上京をしました。

竹の子族とは、野外で独特の派手な衣装でディスコサウンドに合わせてステップダンスを踊るという、風俗またはその参加者の総称。

1980年代前半、東京都原宿の代々木公園横に設けられた歩行者天国で、ラジカセを囲み路上で踊っていたようです。

高校は静岡県立吉原工業高等学校に入学しましたが、1年生の5月で中退をしています。

在学した2ヶ月間は、野球部に所属をしていたそうです。

吉原工業高等学校は偏差値44の公立の工業高校で、男子生徒が全体の約80%を占めています。

やんちゃだった諸星和己さんは、地元の暴走族で有名なチーム「吉原連合 博霊一族 MADONNA」の集会に参加していたと言われています。

友達と一緒に東京に家出をしてきた諸星和己さんは、代々木公園脇の歩道橋の下で野宿して5日ほど過ごしました。

原宿駅前でポケットティッシュ目当てでうろうろしていたところ、諸星和己さんは近くにいた犬に手を噛まれてしまいます。

その犬とは、ジャニーズの近藤真彦さんの飼い犬でポメラニアンのラム。

その犬を散歩していたのがジャニー喜多川氏でした。

ジャニーさんは諸星さんへの被害を気にして、何かあったらここに電話するようにと言って薄い木の板で作られた名刺を渡したそうです。

その後、諸星和己さんは上京してきた友達とはぐれてしまい、所持金は1200円で静岡に帰ることもできない状態になります。

諸星和己さんは、名刺をくれたジャニーさんのことを思い出し、犬に噛まれたことを理由に帰りの電車賃を援助してもらおうと電話をします。

「近くに合宿所があるから来るように」ジャニー喜多川氏は近くの合宿所へと諸星和己さんを呼びました。

当時、合宿所には田原俊彦さん近藤真彦さん少年隊、男闘呼組らがいたそうです。

これをきっかけに諸星和己さんは、夏休みも上京して合宿所で過ごし、男組の前々身にあたるプライベートバンド「でたらめロックバンド」にもリズムギターで参加。

1986年に音楽バラエティ番組「アイドル花組おとこ組」に出演し、これをきっかけに正式にジャニーズ事務所に入所しました。

ジャニー喜多川氏からローラースケートのレッスンに誘われたJr.メンバー。

そこから諸星和己さんは、選抜メンバーに選ばれグループを組むことになります。

光GENJIのセンターとして華々しくデビューした諸星和己さん。

イメージカラーはピンクでおしゃべりが得意で、いつも笑顔で性格が明るくて目立ちたがり屋、「カー君」と呼ばれてグループで一番人気でした。

光GENJIはローラースケートでバク転やバク宙をするのですが、諸星和己さんは無茶をしていたのか、よく怪我をしていた印象があります。

松葉杖をついて生放送の歌番組に登場したり、肋骨を骨折して包帯を巻いて出演していたこともありました。

ジャニーズの中でも諸星和己さんのやんちゃ具合は有名で、ジャニー喜多川氏からは「少年ヤクザ」、メリー喜多川氏からは歴代のジャニーズの中で「一番のワル」と呼ばれ、ジャニー喜多川氏のへそくりもよく盗んでいたそうです。

東山紀之からも性加害を受けていた?

東山紀之さんは少年隊のメンバーであり、先述したように合宿所にいました。

そこで光GENJIのメンバーも東山紀之さんと一緒に過ごしていた時期があり、その中で性被害を受けたようです。

木山将吾さんの暴露本「SMAPへ~そして、全てのジャニーズタレントへ~」から抜粋していきます。

1つ目、パンツの替えがないジュニアに自分の脱いだパンツを渡す。

以下、暴露本からの抜粋です。

「パンツがないと呟いた倉田に、ヒガシは『何だパンツも持ってないのか』と言いながら、自分のパンツをその場で脱いでポイッと投げてよこしたというのである。」

これは違和感を覚えますね。

東山紀之さんは、別に用意していた新しいパンツを履いたということでしょうか。

前のページがないので詳細は分かりませんが、それならば自分が脱いだパンツの方を履きますよね。

悪意があったということなのでしょうか?

2つ目、人のパンツを脱がしてジャニー喜多川氏のもとへ連れて行く。

暴露本によると東山紀之さんは、人のパンツを脱がすことが好きだったということです。

脱がすだけでは飽き足らず、無理にジャニー喜多川さんの元へと連れて行きイタズラされるのを見て大笑いしていたとのこと。

パンツにアイロンをかけることも平和な日常の中での出来事であれば、几帳面な人で終わるのでしょうが、木山将吾さんには異質に移映ったようです。

3つ目、「僕のソーセージを食え」

食事中におもむろにみんなの前で局部を晒し「僕のソーセージを食え」と発言したこと。

冗談だとしてもこの発言は暴露本に目を通す限り、東山紀之さんは周囲に恐れられていた様子だったこともあり、強制力を感じたようです。

つい最近行われた会見にて、本件について言及する記者がいましたが、東山紀之さんはうやむやな回答しかしていませんでした。

以下会見内容を抜粋しています。

「記者『東山紀之さんは、性加害に加担していなかったですか?』東山さん『していません』」と断言していました。

それも不快感をあらわにしているように見えました。

そしてソーセージの件については「したかもしれないし、してないかもしれない」という発言を。

事実はさておき、罪の意識はないように見えましたが、事実だとしてもそれを性加害とはあまり思っていないのかもしれません。

言葉通り「若気の至り」「悪ふざけ」という認識なのかもしれません。

このような性加害の情報が多数出ていることもあり、木山将吾さんの暴露本のみだけでこの情報量なので、諸星和美さん含む光GENJIメンバーは全員、被害者だと思われます。

また、ジャニーズ事務所側の人間が皆、口をそろえて「噂程度にしか聞いていない」と発言している件については、さすがに無理があり、元光GENJIメンバーも憤りを隠せないと言います。

光GENJIが解散した理由

1994年8月、光GENJIから大沢樹生さんと佐藤寛之さんが脱退をします。

残りのメンバーで「光GENJI SUPER 5」として再スタートをしたものの、1995年9月に「光GENJI SUPER 5」は解散となりました。

諸星和己さんから解散の話をした時は、メンバーも疲れていて同じ気持ちを抱えていたようです。

解散後は、すぐにジャニーズ事務所を脱退して個人事務所「株式会社 GOLD RUSH K」を設立しています。

解散後、すぐにジャニーズ事務所を脱退するあたり、メンバーが好かれていたことも相まって、やはりデビュー前の合宿所の時から、何かしらジャニーズ事務所に対して思うところがあったとのではないでしょうか。

まとめ

いかがでしたか。

今回は、連日報道されている性合宿所でおきていた真実についてお話してきました。

木山将吾さんの暴露本や岡本カウアンさんの暴露により、ジャニーズ事務所内でおきた性加害について、多くの闇があばかれていくことと思います。

傷ついた心のケアは、簡単にはできないかもしれませんが、少しでも早く心が癒される日が来ることを願いたいと思います。

最後まで、ありがとうございました。

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