80〜90年代にかけて伝説的な人気を誇ったアイドル工藤静香さん。
数年振りに紅白歌合戦に出場したことでも話題になりましたね。
そんな工藤静香さんですが、最愛の兄や父親と死別しているそうで、父親の職業について憶測が飛び交っているようです。
そこで今回は、工藤静香が兄や父親との死別、父親のまさかの職業についてお話ししていこうと思います。
是非、最後までお付き合い下さい。
工藤静香のプロフィール
性別:女性
生年月日:1970年4月14日(52歳)
身長:163cm
出身:東京都
血液型:B型
最終学歴:日本音楽高等学校音楽科(中退)
中学2年生の時に「ミスセブンティーンコンテスト」に出場し、特別賞を受賞した工藤静香さん。
このコンテストには、国生さゆりさんや渡辺満里奈さん、渡辺美里さん、松本典子さん網浜直子さんなどもいたそうです。
最終ステージまで残った工藤静香さんは、他の出場者が素敵な洋服を着て化粧をしていることに衝撃を受けたそうです。
なぜなら工藤静香さんはこの時、白い半ズボンと兄のTシャツをアレンジした赤いタンクトップを着ていたからです。
そして、特別賞を受賞後は「セブンティーンクラブ」を結成。
翌年には、レコードデビューを果たします。
CMのタイアップまでありましたが、シングル2枚を出して解散してしまいます。
芸能活動を続けながら工藤静香さんは、東京都立板橋高等学校の普通科へ入学。
高校進学後は、事務所のすすめでフジテレビの「夕やけニャンニャン」のオーディションコーナー「ザ・スカウトアイドルを探せ」に出演し合格します。
多忙の毎日が続き、日本音楽高等学校に編入しましが中退。
その後は、芸能活動も忙しく1989年には50万枚以上のセールスを誇るヒット曲をリリースしていました。
「嵐の素顔」「黄砂に吹かれて」「恋一夜」の3曲は、オリコン1位、ベストテン1位、歌のトップテン1位となっています。
工藤静香さんは、1980年代後半に最も活躍したアイドルの一人で、中山美穂さんや南野陽子さん、浅香唯さんと並んでアイドル四天王とも呼ばれています。
2000年12月5日には、当時SMAPのメンバーとして活躍していた木村拓哉さんと結婚。
2001年5月に長女の心美さん、2003年2月に次女の光希さんを出産しています。
工藤静香が最愛の兄との死別
歌手・女優・タレント・画家としてマルチな才能がある工藤静香さん。
そんな工藤静香さんには兄がいましたが、工藤静香さんが中学生の頃に死別しています。
工藤静香さんのInstagramによると、2020年に36年経ったと書いてあるということは1980年代に亡くなったようです。
お兄さんのことについては、画像や名前など詳しいことは公開されておらず、Instagramの文言からわかるように、工藤静香さんより2歳年上ということだけです。
工藤静香さんから想像すると、細身でキリッとした顔立ちで長身のイケメンさんだったでしょう。
きっと自慢のお兄さんだったと思います。
しかし、お兄さんはどうして亡くなったのでしょうか。
調べてみると、工藤静香さんがまだ中学生の時にバイクの事故で亡くなったようです。
大好きなお兄さんが、多感な思春期になくなってしまった工藤静香さんのショックはかなり大きかったのではないでしょうか。
今でもテレビで話したり、お墓参りをInstagramで報告したり、まだ悲しみは癒えてないようです。
工藤静香は元々ヤンキーだった?
工藤静香さんは、元々ヤンキーや暴走族だったとの情報がありました。
工藤静香さんは、中学3年か高校生の時にお兄さんがバイク事故で亡くなったということで、ヤンキーや暴走族だったと噂されています。
ですが、実際はっきりしたことは分かっていません。
工藤静香さんは、幼い頃から可愛らしく劇団東俳に所属していました。
芸能界に入るきっかけは、雑誌「セブンティーン」のコンテストで特別賞を受賞したこと。
同じコンテスト出身者とアイドルグループを組んでアイドル活動を始めますが泣かず飛ばずの結果に。
その後、夕やけニャンニャンの「おニャン子クラブ」に応募して合格し、会員No.38番として人気が出てきます。
ユニット「うしろ髪ひかれ隊」として徐々に頭角を現し、そこからソロのアイドルとして大人気アイドルとなりますが、他のアイドルとひと味違いました。
立ち上げた前髪、茶色く染めたロングヘア、少し派手目なメイクや尖ったファッションは、ヤンキー女子のファッションリーダーとなり、ヤンキーや暴走族の女の子達の憧れの的になっていました。
同時に、暴走族やヤンキーの男の子達からも絶大な人気を誇り、工藤静香さんが移動するときには常に暴走族が先導し、コンサート会場まわりをバイクが何周も回るなどしたと言います。
工藤静香さん自身、そのことをテレビで話されており、コンサート会場でそういう人達が喧嘩したこともあったそうです。
そんなエピソードから工藤静香さんは、ヤンキーだと言われていました。
見た目はそうでも、実際ヤンキーだったかどうかは分かっていません。
工藤静香の父親のまさかの職業がヤバすぎる?
工藤静香さんの父親は、勘七さんと言います。
青森県旧蟹田町(現在の外ヶ浜町)出身で、工藤静香さんも幼少の頃に父親の青森の実家で暮らしていたこともあったそうです。
工藤静香さんは「よくしゃべる父親」と話していました。
そんな勘七さんは、2005年に62歳で亡くなっており、死因は虚血性心不全だと言われています。
まだまだ若くてこれからという年齢で、工藤静香さんもショックだったでしょう。
孫もできて、これから親孝行をしようという頃なので、本当に残念だったと思います。
勘七さんの職業は板前で「津軽」という名前の割烹料理店を営んでいました。
今はもうないですが、実家近くの東京都羽村市にあったようです。
東京に住んでいても、やはりふるさとの津軽に愛着があったのでしょう。
そんな勘七さんですが、板前として腕を振るう傍ら工藤静香さんと同様に画家としても活動していたそうで、工藤静香さんの影響ではないかと言われています。
けれど、才能は十分あったようで、工藤静香さんから遅れること数年の1996年に親子で西仁科展に入賞しています。
そして、勘七さん自身の個展も青森郷土館や東京でも開かれたことがあります。
また、勘七さんの亡き後、工藤静香さんが親子展を開きました。
そんな中、勘七さんがヤクザだったという噂が広まりました。
しかしあくまでも噂で、勘七さんは板前や画家として活動したことから完全なデマと言って良いでしょう。
一説では、工藤静香さんが酒井法子さんとサーフィン仲間で仲が良く、酒井法子さんの父親がヤクザなので、工藤静香さんの父親もそうではないかと思われていたようです。
また、芸能界はよく裏社会とつながりがあるとも言われていて、工藤静香さんがヤンキーとの噂があったことから、そのように噂さたのではないでしょうか。
工藤静香と母親がそっくり!
工藤静香さんの母親は、武子さんという方で北海道の富良野出身だそうです。
二人はとてもそっくりとネットをざわつかせていますが、武子さんはどんな方なのかご紹介します。
武子さんは、理容師をしていたそうです。
その後、勘七さんが割烹店を開いたことから、お店を手伝っていました。
理容師や女将さんということは、かなり働き者の母親だったのでしょうね。
そんな両親の姿をお手本に、工藤静香さんも仕事と家事を両立しているのだと思われます。
武子さんは現在、工藤静香さんの個人事務所を手伝っていて、2人の孫や工藤静香さんのプロデュースをしていると言われています。
お店を切り盛りするぐらいなので、しっかりした母親なんでしょうね。
そんな工藤静香さんとお母さんの武子さんは、とても仲が良いと言います。
母親の武子さんは、もう今年で80歳を超えてるのに、とてもスリムでスタイルが良く、かなり若く見えます。
とてもオシャレで憧れの親子です。
また、武子さんは工藤静香さんが若い頃にプレゼントした、中目黒の家に住んでいます。
その後、工藤静香さんは木村拓哉さんと結婚。
母親にプレゼントした家の隣の土地を購入して豪邸を建築しました。
自宅が出来上がるまで母親の家に同居していたようです。
もちろん、新居が建っても隣同士なのでほぼ同居状態のようで、木村拓哉さんとも仲良しだと言います。
しかし、武子さんは子宮癌になり5年間も闘病生活を送っていたそうです。
具体的な時期は分かりませんが、父親の勘七さんが亡くなった後ではないかと言われています。
兄も父親もすでに他界しており、工藤静香さんの心労は計り知れないものだったでしょう。
そんな工藤静香さんは、5年間もの長期間、献身的に武子さんを看病したそうです。
そのかいもあって武子さんは、現在は回復されているようです。
工藤静香さんのInstagramに度々登場するところを見ると、まだまだお元気なように見えるので、このまま長生きしてもらいたいですね。
工藤静香の自宅は大豪邸!
母親思いの工藤静香さんですが、夫の木村拓哉さんと住んでいる自宅は、東京都中目黒にある大豪邸なんだとか。
昔からファンの間で場所が特定されており、かなり有名でした。
外壁は分厚いコンクリートで覆われており、ガレージも車が何台も入るであろう巨大な作りになっています。
家族全員が有名人ですから、プライバシーを配慮した構造になっているようです。
世間でも工藤静香さんの自宅が豪邸なのは周知の事実でした。
実は、工藤静香さんは有名になりすぎるがあまり、何度か不法侵入など警察沙汰のトラブルになっていたそうです。
日本一有名な一家ですから、何かトラブルになれば近所の人も気になるでしょうね。
特に工藤静香さんは、激怒してものすごい剣幕で警察官に怒っていたそうです。
娘さんたちのこともあり、その警戒ぶりはますます強くなっていたと言います。
木村拓哉さんも自宅に帰る際は、毎回マネージャーと周囲を見回っていたそうです。
そんな工藤静香さんの豪邸の敷地面積は500㎡以上、なんと150坪以上もあるようです。
土地代だけで6億、建築費は約4億で総工費が10億円と言われていました。
さらに木村拓哉さんは、キャッシュで購入したそうです。
2007年に自宅が完成したのですが、それまでに4年もの歳月を費やしています。
また、中目黒といえば芸能人が多く住んでいる街で有名ですよね。
工藤静香さんたちは、中目黒での目撃情報や中目黒の催し物に参加しているといった情報もありました。
木村拓哉さんはかなりの愛犬家で、よく犬を散歩させていることから、中目黒公園や目黒川沿いの目撃情報もあるようです。
そして、工藤静香さんや娘さんたちのSNSでは、度々自宅の様子が公開されています。
工藤静香さんのお気に入りは、広い庭でガーデニングを楽しんでいるようですね。
家庭菜園でいちごやミントを作ることもあるようです。
さらに、1階にはテラスや中庭があり木村拓哉さんたちはその庭で、モーニングやカフェの時間を楽しんでいるんだとか。
そんな木村拓哉さんは、スマスマでよく料理を披露していましたが、自宅でも腕をふるっているそうです。
さらには、自宅にトレーニングルームや音楽スタジオも完備しており、外出しなくても家の中で全てが完結する仕様になっています。
地下室の音楽スタジオにはピアノやギターといった、様々な楽器が置かれています。
家族全員が音楽に精通しているので、防音もしっかりされているようですね。
工藤静香さんはInstagramで度々、自宅の様子を公開しているのですが、木村拓哉さんファンからすると、かなり貴重な画像ではないでしょうか。
まとめ
いかがでしたか。
今回は、工藤静香が兄や父親との死別、父親のまさかの職業についてお話ししてきました。
トップアイドルとして一世風靡した工藤静香さん。
大人気アイドルSMAPの木村拓哉さんとの結婚は大きな話題となりました。
二人のお子さんを育てられて、今は自分の時間を多く持てる時期にあるのではない
でしょうか。
テレビに出る機会も徐々に増え、これからの活躍に期待したいですね。
最後まで、ありがとうございました。
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