日本プロ野球会を代表する選手の一人であり、その活躍によって多くのファンから愛されている松井秀喜さん。
そんな伝説のベースボールプレイヤーのプライベートが気になりますよね?
今回はゴジラと呼ばれた、松井秀喜さんのプライベートに迫っていきたいと思います。
最後までお付き合いください。
松井秀喜の輝かしい経歴!
1974年に石川県に生まれ、星稜高校時代には甲子園で活躍。
その後、読売ジャイアンツでプロ野球選手としてデビューすると、強靭な体力と勝負強さを持ち合わせ、多くの試合でチームを勝利に導いてきました。
日本プロ野球では読売ジャイアンツ、メジャーリーグベースボールではニューヨークヤンキースで活躍し、2009年のニューヨークヤンキース時代には、ワールドシリーズ優勝を経験しています。
そして同年、アジア人初のワールドシリーズMVPを受賞するなど、数々の偉業を成し遂げてきました。
また、引退後はニューヨークヤンキースのGM付け特別アドバイザーを務め、野球界の発展に貢献しています。
さらに、2020年には国民栄誉賞を受賞し、その功績が称えられました。
松井秀喜の野球人生に影響した大怪我とは?
1993年に巨人軍に入団して以来、プロ野球界で活躍してきた伝説的な選手の松井秀喜さん。
彼の名声は日本だけでなく、アメリカでも高く評価されており、日米通算507本のホームランを放ちメジャーリーグベースボールでも活躍しました。
しかし、松井秀喜さんはその活躍と並行して、膝の怪我に悩まされてきました。
彼は、過去に古傷である膝の痛みに苦しんでいたそうです。
そして、2005年に松井秀喜さんは、左手首を骨折する大怪我を負い、日米通算連続試合出場記録が1768で途絶えてしまいました。
その後、2007年には右膝を手術し、回復は順調だとされていましたが、2008年には反対の左膝を手術することになってしまいます。
2008年9月に行われた左膝の手術は成功し、わずか4時間で退院します。
しかし、その後の復帰に思いのほか時間がかかりました。
同年のシーズン終盤には、プレーオフ出場が絶望的となり、シーズン終了を待たずに手術することが決定となります。
松井秀喜さんは、その後も2011年に左膝を手術し、翌年には右膝の手術も行っています。
ですが、思っている以上に膝の状態は最悪で、とうとう2012年に現役を引退しました。
松井秀喜さんは、自身の膝の怪我についてトレーニングや生活習慣が原因だったと語っています。
彼はウェイトトレーニングを中心に行っていたため、体が大きくなると同時にパワーがつくと信じてしまい、結果膝に負担をかけてしまったと言います。
また、海外でのプレイ中には疲労がたまりやすい環境であったため、疲労骨折を発症することもあったそうです。
しかし、松井秀喜さん自身も怪我を抱えながら、チームのために全力でプレーしファンの支持を集め続けました。
松井秀喜という選手が持っていた、強い信念と野球への熱い情熱が、彼の選手人生を支えたのかもしれません。
松井秀喜の歴代彼女は?
松井秀喜さんには、芸能界で活躍する女性たちとの熱愛報道が何度も出ていました。
まず最初に2005年には女優の戸田菜穂さんとの交際が報じられました。
当時2人は、すでに交際を始めていたとされ、松井秀喜さんは戸田菜穂さんとは「一緒にいてとても幸せな時間を過ごしている」とコメントしていました。
しかし、2006年に破局したと報じられ、その理由については諸説ありますが、松井秀喜さんが結婚に対して乗り切れなかったことが原因の一つだったとされています。
また、松井秀喜さんは戸田菜穂さん以外にも、女優の酒井美紀さんとの交際報道もありました。
これは、2002年頃だとされ、この時、松井秀喜さんは酒井美紀さんのファンだったという話もあります。
しかし、具体的な交際期間や詳細は明らかにされていません。
当時、酒井美紀さんは26歳で、松井秀喜さんとの交際について「私生活についてはコメントしたくありません」と話していました。
さらに松井秀喜さんには、パラドルの早坂芳恵さんとの熱愛報道もあります。
これは1990年代の話で、早坂芳恵さんとの交際が発覚すると、2人はテレビ番組に出演して公に交際を認めました。
しかし、その後2人は破局し、早坂芳恵さんは別の男性と再婚しています。
松井秀喜の両親と奥さんとの出会いとは?
ここからは、松井秀喜さんの家族についてお話していきます。
まず、松井秀喜さんの両親についてですが、彼の父親はかつては小松で働いていたとされています。
また、松井秀喜さんの母親については、情報が非常に限られており名前や職業などは公表されていません。
松井秀喜さんには兄弟が一人おり、その兄弟についても情報が非常に限られています。
松井秀喜さんが引退試合で背負った背番号51は、兄弟の誕生日が5月1日だったことに、由来しているという説もあります。
松井秀喜さんは、2008年に一般女性である中山愛さんと結婚しました。
結婚式は非公開で2人だけであげたと言われています。
この結婚については、野球ファンやマスメディアからも驚きと歓喜の声が上がりました。
中山愛さんは、1978年生まれの41歳で、松井秀喜さんより4歳年下です。
中山愛さんも大学卒業後にミズノに就職し、野球用品の企画や開発に携わっていました。
その後、退職してからはファッションブランドのPRなどを手掛ける傍ら、2人の子育てに専念しています。
松井秀喜さんと中山愛さんの馴れ初めについては、複数の説があります。
一説によると、松井秀喜さんが中山愛さんを紹介してもらったのは、中山愛さんが務めていた会社が松井秀喜さんのスポンサー企業だったからだと言われています。
また、中山愛さん自身も松井秀喜さんと出会う前に、彼のファンだったと語っています。
松井秀喜さんは「妻が自身の人生において非常に大きな存在である」としばしば語っており、妻について非常に尊敬している様子が伺えます。
そして、松井秀喜さんと妻の間には2人の男の子が生まれています。
長男は2004年に、次男は2006年に生まれました。
次男については、彼が発達障害を抱えているとの噂もありましたが、これは事実ではなくただのデマだったとされています。
また、2人の馴れ初めについては、公式な発表がされていないため真相は分かりません。
松井秀喜さんは、プロ野球選手として活躍し、引退後もその名を知られたスポーツ選手の一人です。
松井秀喜の驚きの年収は?
松井秀喜さんの年収について、2つの情報源から調べてみました。
松井秀喜さんは、現役時代の最高年俸はNPBが歴代3位の6億千万円、MLBが1300万ドルでした。
また、巨人時代の年俸総額は22億8820万円+契約金、メジャーリーグの年俸総額は8415万ドル(1ドル100換算で84億1500万円)、生涯年俸は107億320万円とされています。
引退後の現在の年収については、複数の情報源から5000万円前後とされています。
松井秀喜さんは引退後も野球界でその名を知られる存在であり続けています。
現在は、ヤンキースGM特別アドバイザーの仕事で活躍し、年収5000万円前後を稼いでいるとされています。
この仕事には、マイナーリーグの巡回やマイナー選手の指導、リサーチなどが含まれているそうです。
松井秀喜さんの野球選手としての経歴は、多くの人が知っていると思いますが、現在の仕事についてはあまり知られていないかもしれません。
しかし、現在も野球界で活躍していることがわかります。
まとめ
いかがだったでしょうか。
今回はゴジラと呼ばれた、松井秀喜さんのプライベートに迫ってみました。
ゴジラの愛称で親しまれた伝説のベースボールプレイヤーは、度重なる怪我に悩まされながらも野球やチームに対する熱い思いで、プレーしていたことが分かりました。
これからは、家族の時間を大事にして幸せに暮らしてほしいです。
最後まで、ありがとうございました。
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