女優の米倉涼子さんが主演を予定のミュージカル「CHICAGO」のブロードウェイ公演と日本公演を降板することが発表されました。
離婚や事務所からの退社、さらには難病と闘病しているようで舞台出演へのドクターストップが掛かったそうです。
そんな米倉涼子さんですが、女優引退の噂が流れているようです。
そこで今回は、米倉涼子さん女優引退の噂についてや、闘病中の病気の正体とは何なのかお話ししていこうと思います。
米倉涼子のプロフィール
性別:女性
生年月日:1975年8月1日(47歳)
身長:168cm
出身:神奈川県横浜市
血液型:B型
出身中学:横浜市立南希望が丘中学校
出身高校:神奈川県立旭高校
所属事務所:Desaflo
米倉涼子さんは5歳の頃から15年間、クラシックバレエを続けていたそうです。
小学3年生からは牧阿佐美バレエ団のジュニアスクールに通い、その後は牧阿佐美さんの直接指導を受け、プロのバレエダンサーを育成する「AM.スチューデンツ」に合格しています。
1992年、米倉涼子さんが高校在学中に友人が応募したことがきっかけで、オスカープロダクションが主催の「第6回全日本国民的美少女コンテスト」で審査員特別賞を受賞します。
これがきっかけとなり、翌年にモデルとしてデビューし、人気ファッション雑誌「CanCan」などに掲載されるようになります。
そして、1999年6月には菊川怜さんとともに「女優宣言お披露目発表会」に参加し、女優として活動すること発表。
その後は、トレンディードラマを中心に活動するようになりました。
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米倉涼子が思う女優像とは
米倉涼子さんは、女優に転じた際に目指したい女優や特定の人のようになりたいと思うことはなかったそうです。
ですが、ドラマ「非婚家族」で共演し、米倉涼子さんに芝居というものを教えてくれた真田裕之さんの姿を目の当たりにし、真田裕之さんに憧れるようになり「真田裕之さんのような芝居が好きな役者になりたい」と決意したそうです。
そして「米倉涼子と松本清張の3部作」といわれる「松本清張 黒革の手帖」「松本清張 けものみち」「松本清張・最終章 わるいやつら」では、悪女役を演じて役柄を広げることに。
2006年秋には「黒革の手帖」の舞台版に出演し、念願だった舞台出演を果たしています。
これが予想以上の反響を呼んだことで、役者としての心構えを持つきっかけとなったといわれています。
ブロードウェイ史上初の快挙!
舞台俳優のへの道を歩みはじめた米倉涼子さん。
2008年には、ミュージカル「CHICAGO」の日本版で、自身初のミュージカル出演をすることに。
米倉涼子さんは、ブロードウェイで鑑賞したこの作品に魅了され、日本版の構想を聞きつけると自ら売り込んで主役の座を勝ち取っています。
それまでに、本格的な歌を披露した経験がなかった米倉涼子さんですが、見事に主役を演じきったことで話題となりました。
そして月刊誌「ミュージカル」が選んだ2008年ミュージカルベストテンの女優部門で、見事7位に入っています。
2010年にも同作品は再演され、この頃から米倉涼子さんはブロードウェイ進出を考えはじめていたそうです。
そして2011年には、渡米して約3ヶ月間ジャズダンスやバレエのレッスンを積み、翌2012年7月には「CHICAGO」で、ついにブロードウェイミュージカル主演デビューを果たしたのです。
日本人女優がアジア系でないアメリカ人の役柄を演じるのは、ブロードウェイ史上初のことで、アジア出身の俳優としても初めての快挙となりました。
米倉涼子がまさかの女優引退か!
「ドクターX〜外科医・大門未知子〜」では、天才外科医の大門未知子を演じ「私、失敗しないので」のセリフが話題となり、最高視聴率27.4%を記録する大人気シリーズに。
こうして順調にキャリアを重ねてきた米倉涼子さんは、2014年12月に会社経営の一般男性と結婚しています。
しかし、わずか2年で破局を迎えてしまうのです。
離婚の原因は生活の不一致とのことですが、当時の報道によると婚姻届を提出した数日後から、早くもすれ違いが生じていたそうなんです。
ふたりは米倉涼子さんのマンションで新婚生活をはじめたのですが、わずか1日で同居を解消したといいます。
これは、同居解消記録という意味では、おそらく芸能界最速といわれています。
離婚の理由は、性格の不一致とのことですが、当時から「同居初日に何があったのか気になる」と注目されていました。
また、2020年3月には、27年間所属したオスカープロモーションとの契約を同月31日をもって退社することが発表されています。
4月には新たに個人事務所「Desaflo」を設立し、芸能活動を再開しました。
独立という厳しい道を選んだ理由について米倉涼子さんは、次のように話しています。
「芸能界に入った時からずっと同じ事務所に所属していたんですけど、私の存在意義が長い期間いることによって大きくなって行ったんですよね」
と話し、続けて
「でも、私はそんなにまだまだ大きくなくて、他の役者さんとお芝居させていただくと舞台や劇団にいた時の話をたくさん聞くんですね。そういう方たちとお芝居をしていて、まだまだ私は未熟で基礎がないっていう風に思っているし、経験がとにかく浅い」
と、振り返り、そして米倉涼子さんは
「視聴率女優って言葉にすごく押しつぶされそうになっていた」
と、本音も吐露しています。
「だから自分が立たされている場所と私の心がチグハグになっていたというか、もっと小さな経験もやったことのない経験もして、もっと太くなりたいっていう思いが私の中で大きかったんですよね」
と、あえて厳しい環境に身を置くことによって自分自身を成長させたいと考え、独立という道を自ら選んだというのです。
あえて自分を厳しい環境に身を置くとは、過去に噂があった大物アナウンサーの影響なのでしょうか。



そんな米倉涼子さんですが持病の影響で、まさかの「女優引退」かと、噂が流れています。
人気女優の引退の原因とされる病気の正体とはいったい何なのか、次の章でお話しします。
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人気女優が闘病中の病気の正体とは?
米倉涼子さんが引退の危機に追い込まれている原因は「低髄液圧症候群」という持病のようです。
この病気は、脳と脊髄の周りを満たす髄液が漏れることによって、頭痛やめまい、首の痛みに加えて耳鳴りや視力低下、全身の倦怠感などの症状が現れるといわれています。
また、治療法や診断方法も確立されておらず、完治が難しいとされているようです。
米倉涼子さんは、人身の症状について
「段々真っ直ぐ歩けなくなるんです。走ったり回転したりすると、どこが正面かわからなくなってきたりとか、倦怠感とか、やる気がみなぎらない。頑張らなきゃいけないのに何かおかしいとか、すぐにしゃがむとか‥」
と、説明しています。
こうした難病に冒されながらも、女優活動を続けてきた米倉涼子さんですが、今度は「仙骨周囲の激痛」「馬尾神経腫大」「強度の坐骨神経痛」などに見舞われ、歩行困難に陥ってると自身のInstagramで明かしています。
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このように米倉涼子さんは「断腸の思いでこの決断に至りました」と「CHICAGO」の降板を発表し、自身の胸の内を赤裸々に明かしていました。
そんな米倉涼子さんについて芸能プロ関係者の間では、責任感の強い女性だから、しばらく症状が改善されなければ「女優引退」を考えるかもしれないと言われているようなのです。
まとめ
いかがでしたか。
今回は、米倉涼子さん女優引退の噂についてや、闘病中の病気の正体とは何なのかお話ししてきました。
米倉涼子さんは、今回のミュージカル降板について、どうにか間に合いますようにと、やれるだけの治療やトレーニングをしていたそうです。
そして現在は、この悔しさを今後の糧として「もっと強い女になってやるっ!」と前向きな思いをつづっており「待っててね、待っててください」とファンに呼びかけています。
どうか、しっかりと療養し、また元気な姿で戻ってきてくれることを願いたいと思います。
最後までありがとうございました。
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