多くのドラマや映画に出演し、大きな瞳と素敵な笑顔が印象的だった竹内結子さん。
残念ながら2020年9月、自宅で自ら命を絶ってしまいましたが、その死因について様々な憶測が飛び交っています。
そんな竹内結子さんですが、実は亡くなる前にイモトアヤコさんに「1通の手紙」を送っていたそうです。
また、竹内結子さんが亡くなる1週間前から「ある異変」があったというのです。
そこで今回は、竹内結子がイモトに送った「1通の手紙」と、亡くなる前のある異変についてお話ししていこうと思います。
竹内結子のプロフィール
性別:女性
生年月日:1980年4月1日
身長:164cm
出身:埼玉県浦和
血液型:A型
出身中学:浦和市立白幡中学校
出身高校:埼玉県新座北高校
竹内結子さんは、中学校を卒業して間もない春休みに、原宿でスカウトされたことがきっかけで芸能界に入ります。
1995年に、当時の大蔵省のCMに出演し芸能界での仕事をスタート。
翌1996年には、堂本光一さん主演ドラマ「新・木曜日の怪談」で快活なヒロインの女子高生役を演じ女優デビューを果たします。
その後、数々の作品に出演すると1999年に放送されたNHK連続テレビ小説「あすか」や2001年に放送のTVドラマ「白い影」では、ヒロイン役を務めています。
すると、その演技力の高さと魅力的な笑顔で瞬く間に人気女優に。
翌年に放送されたTVドラマ「ランチの女王」では、フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ初主演を果たします。
トレンディドラマの時代が終わり、女優不遇の時代が続く中でも竹内結子さんは、数少ない実力派女優としての人気を誇っており、2003年に公開された映画「黄泉がえり」に出演した際には「泣きたい夜には竹内結子」というキャッチフレーズのポスターが大きな話題となりました。
竹内結子の突然の訃報
2005年6月に映画「いま、会いにゆきます」で共演した中村獅童さんと結婚。
同時に妊娠していることも公表し、同年11月に第一子となる男児を出産しています。
しかし2008年2月には中村獅童さんと離婚、子供の親権は竹内結子さんが持つことになりました。
その後も映画やドラマでの活躍を続け、2018年にはHuluとHBOアジアの初となる国際共同制作ドラマ「ミス・シャーロック」で女性版シャーロック・ホームズを演じています。
このドラマは、日本国内ではHuluで配信された他、HBOでも世界19カ国で放送されるなど、注目の作品となりました。
その後、2019年に所属事務所の後輩であった中林大樹さんと再婚。
同年8月には第二子を妊娠していることがわかり、翌年1月末に男児を出産しています。
そして、あの日がきます。
2020年9月27日、午前2時頃、夫である中林大樹さんが自宅のクローゼットの中で意識が無く、ぐったりしている竹内結子さんを発見。
すぐに病院へ搬送されましたが、搬送先の病院で死亡が確認されました。
享年40歳、現場の状況から自殺とみられ、遺書などは見つかっていないそうです。
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竹内結子の実家は複雑な家庭環境だった
小中学校時代の竹内結子さんは、父の仕事の都合で埼玉県内の学校を転々としていたそうですが、彼女の心の支えとなったのが母方の祖母だったといいます。
お婆ちゃんは、三姉妹でいちばん年下の竹内結子さんをとても可愛がっていたそうで、竹内結子さんは学校から帰っても自宅には誰もいないので、ランドセルを置くとすぐ近くに住むお婆ちゃんの家に行ったそうです。
そこでテレビを見たり、夕飯の手伝いをしたりしながら、お婆ちゃんと一緒に食事をしてから自宅に帰っていたといいます。
そんななか、竹内結子さんが中学生時代に悲しい出来事が起こってしまいます。
母親が癌に侵されてしまうのです。
竹内結子さんの母親は、子供たちの食事にとても気をつけていたそうで、玄米に無農薬野菜を使った料理をするという優しい女性だったとのこと。
しかし、突然の癌の病に、だんだんと動けなくなってしまったそうで、家族で必死に看病をしていたといいます。
そしてこの頃、竹内結子さんにとって更にショッキングな出来事がありました。
なんと両親が離婚してしまったというのです。
なのに離婚後も夫婦は同居を続けていたらしく、両親が離婚したことについては家族にしか伝えておらず、親族すら知らなかったというから驚きです。
竹内結子の最愛の母の死
癌で闘病していた母親が1994年、竹内結子さんが14歳の時にこの世を去ります。
実は、竹内結子さんが芸能界入りしたのは母親の死の翌年だったのです。
当時、学校帰りに制服のままオーディションに向かっていた頃の心境を竹内さんは「自分が必要とされることがただうれしかった」と語っています。
母親の死の寂しさを押し殺すように芸能活動に励む竹内結子さんでしたが、そこに思いがけない連絡が入ります。
なんと母親と死別した翌年に父親が再婚したのです。
父親の再婚相手には、男の子三人の連れ子がいました。
竹内家にも三姉妹がいたので、一気に六人兄弟になります。
母親を亡くしたばかりの竹内結子さんにとって、あまりにも急な環境の変化でとても受け入れにくいものだったといいます。
それ以降、竹内結子さんはあまり家に帰ることもなく、それまで以上にお婆ちゃんの家に寄り付くようになったそうです。
竹内結子さんは、父親の再婚後の家族についてあまり語ることはなかったのですが、ある本で胸中を明かしたことがありました。
「帰る家は暖かい家庭そのものに見えたが、カギの掛かった空間がいくつもあるような場所だった。
足早に台所を通り過ぎる時、一人の人間として父が必要とした女の人が、彼女の子供たちのために食事の支度をしている。
晩の食卓の賑やかな景色が、私にはガラス越しのものに見えた。(中略)
私は父に人生を好きに生きてくれたらいいと思っていた。連れ子という荷物がいることを面倒に感じられたくなかったのだ。
その思いが自分の心に無理を課していたことは気付かなかた」
と、語っているのです。
祖母を「父が必要とした女の人」、自分を「荷物」と表現した竹内結子さん。
実母との死別直後にはじまった、新しい家族との生活について、自らも気付かぬうちに疎外感を募らせていたようなのです。
そのタイミングで芸能界に飛び込んだ竹内結子さんは、周囲に「私、ちょっと複雑な家庭なんで戻る場所なんてないんです。だから、この世界で絶対に頑張らなきゃいけない」と、漏らしていたといいます。
こうした複雑な家庭環境で育った竹内結子さん。
もしかすると、恋愛や家族について複雑な思いを持っていたのかもしれません。
竹内結子がイモトに送った「1通の手紙」に涙腺崩壊!
奇しくも母親が亡くなった歳と同じ40歳で、自ら人生の幕を閉じてしまった竹内結子さん。
多くのファンだけではなく芸能界の中にも、彼女の死を受けいられない人物がいました。
それは、タレントのイモトアヤコさんです。
イモトさんは、竹内結子さんと大親友だったそうで、訃報を受けてからイモトさんは憔悴し、食事も喉を通らなかったそうです。
そんなイモトさんに、ご主人も何て声を掛けていいのかわからない状態だったといいます。
すでに売れっ子芸人の仲間入りをしていたイモトさんは、沢山の仕事を抱えていた為、悲しみに暮れることもできず、周囲には「大丈夫です。仕事はちゃんとできます」と、気丈に振る舞っていたそうです。
しかし、そんなイモトさんの目は、いつもパンパンに腫れていたといいます。
二人が知り合ったのは、竹内結子さんが亡くなる6年ほど前のことで、舞台での共演がきっかけでした。
二人とも初めての舞台出演だったこともあり、すぐに意気投合したそうです。
竹内結子さんの方が6歳年上でしたが、すぐに下の名前で呼び合う仲になったといいます。
食事にも頻繁に出かけ、帰りにはどちらかの家に泊まって、女子会の続きをするのがお決まりの流れだったようです。
「もう帰るの面倒」と、竹内結子さんが当時住んでいたマンションにイモトさんが引っ越して、同じマンションに住んでしまうほど仲の良かった二人。
周囲もまるで「もうひとりの家族」のように思うほどだったそうです。
2017年末、イモトさんがレギュラー出演している「世界の果てまでイッテQ!」の登山企画で南極大陸最高峰に挑むことになった時は、竹内結子さんとの心温まる友情の連係プレーも話題になりました。
登山スケジュールの都合で、イモトさんは年末年始にどうしても日本に居られないことになります。
そして、楽しみにしていた大晦日の「NHK紅白歌合戦」で予定されていた、安室奈美恵さんのラストステージを見られないことになってしまいます。
安室奈美恵さんの大ファンとして知られているイモトさん。
最後のステージは録画して帰国後に見るつもりだったそうですが、肝心の録画予約を忘れてしまったそうなのです。
しかし、そのピンチを救ったのが竹内結子さん。
イモトさんから連絡を受けた竹内結子さんは、イモトさんのためにちゃんと録画をしておいてくれたとのこと。
そして、竹内結子さんの心遣いはそれだけでなく、マイナス50℃以下の極寒の地で命がけの挑戦をする大親友に、サプライズも用意していたのです。
山頂へのアタックを控えたクリスマスに、南極のキャンプ地に竹内結子さんから贈り物が届きます。
「日本が恋しいはず」と、竹内結子さんがCMに主演していた「サッポロ一番」を大きな段ボール箱にぎっしり詰めて送ってくれたのです。
そしてその段ボール箱の中にはラーメンの他に、小さなクリスマスツリーと1通の手紙が入っていました。
そこには「必ず無事に帰ってきて」と、書いてあったそうです。
感激したイモトさんは「号泣しながら食べたよ」と、嬉しそうに頬張る様子を自身のInstagramに投稿しています。
このサプライズに元気付けられたイモトさんは、見事に南極大陸最高峰であるヴィンソン・マシフの登頂を果たしています。
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竹内結子の亡くなる1週間前のある異変とは?
実は、竹内結子さん自身はInstagramでフォローしているのはたったの一人でした。
その一人がイモトアヤコさんです。
竹内結子さんは、イモトさんが新しい投稿をするたびに、必ず「いいね」を押していたそうです。
しかし、竹内結子さんが亡くなる前の1週間、ある異変が起こります。
イモトさんのInstagramの投稿に必ずあった竹内結子さんからの「いいね」が、ピタッと途絶えていたのです。
竹内結子さんが亡くなる間の1週間、イモトさんは4回の投稿をアップしていたのですが、どれにも竹内結子さんからの「いいね」がなかったようなのです。
竹内結子さんがInstagramをはじめてからの3年間、こんなことは1度たりともなかったといいます。
もしかするとこれは、イモトさんだけに向けた小さなSOSだったのかもしれません。
竹内結子へのイモトの思い
竹内結子さんの訃報に接し、泣き続けていたというイモトさんですが、ラジオのインタビューで胸中を明かしています。
「結子さんは、私のことをすごく愛してくれました。いっぱいいっぱい愛をくれたのは本当のことです。
私自身、何か嬉しいことがあったりとか、何か辛いことがあったりとか、何か悲しいことがあった時は、誰よりも先に、一番に結子さんに伝えていました。
そういうことは誰よりも喜んでくれるし、誰よりも悲しんでくれるし、誰よりも怒ってくれるし、私以上に怒ってくれたり本当に沢山たくさん愛をもらったなと感じております。
私も心から結子さんのことを愛しています。この先がどういう思いで、どういう気持ちで、何を見て、何を感じて、今までとそれが違うのかは、正直わからないし。
いろんなことに自信がなくなっているのも事実ですけど、だけど踏ん張って、頑張っていこうと思います」
と、苦しい胸の内を語っていました。
まとめ
いかがでしたか。
今回は、竹内結子がイモトに送った「1通の手紙」と、亡くなる前のある異変についてお話ししてきました。
竹内結子さんが亡くなって2年が経ちますが、今もInstagramには竹内結子さんのアカウントが残っており、最後の投稿にはイモトさんに送った「サッポロ一番」と満面の笑みを浮かべている竹内結子さんが写っています。
イモトさんも含め多くのファンが悲しみ暮れましたが、今ではイモトさんも子供授かっており、幸せな家庭を築いています。
きっとその姿を竹内結子さんも、天国から見ていることでしょう。
最後までありがとうございました。
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