人気絶頂のなか、40歳という若さでこの世を去ってしまった音楽ユニットZARDの坂井泉水さん。
彼女の死について事故や自殺など、様々な噂が囁かれていますが、今もその真相は明らかになっていません。
全国のファンが驚きと悲しみに暮れた彼女の死ですが、坂井泉水さんの身に一体何があったのでしょうか。
そこで今回は、ZARD坂井泉水の死の真相や闘病中に語った本音の一言について、お話ししていこうと思います。
是非、最後までお付き合いください。
坂井泉水のプロフィール
性別:女性
生年月日:1967年2月6日
身長:165cm
出身:神奈川県平塚市
血液型:A型
最終学歴:松蔭女子学院短大
6歳からピアノを習い始めた坂井泉水さんは、幼い頃からテレビや芸能界に興味があったようで、いつか歌手になりたいと夢を抱いていたそうです。
中学生時代には陸上部に所属し、足の速さから短距離の選手として地元で有名な選手でした。
また、当時からその可愛らしさと美しさに、学校中の生徒が一目置く存在だったそうです。
神奈川県立伊志田高等学校に進学後は、テニス部に所属しながら音楽活動への思いが強くなっていきます。
そんな坂井泉水さんは、授業中に沢山の詩をノートに書き留めていたらしく、テニス部を引退後はバンドに興味が湧き、校内のバンドグループに入れて欲しいと頼み込んだというエピソードがあるようです。
高校時代もその美しさは周りの目を引くほどで、ミスコンで優勝し他校の男子生徒が、その姿を見ようと押し寄せたといいます。
地元の短期大学を卒業後は、神奈川県内の不動産会社に就職するも、歌手になりたい気持ちがどんどん膨らみ、頭の中に舞い降りてくる詩を毎日書き留める生活を送っていました。
そんな時に、街中でスカウトされた事がきっかけでスターダストプロモーションに所属する事になります。
当初は、主にレースクイーンやカラオケクイーンとして活動していましたが、1990年音楽グループ「B.B.クイーンズ」のコーラス部隊のオーディションを受けたことで転機が訪れます。
惜しくもオーディションには落選してしまいましたが、彼女の才能を評価した音楽関係者が別のプロジェクトを立ち上げたのです。
ボーカルに坂井泉水さんを据えサポートメンバーを形成し、音楽ユニットZARDが誕生します。
そして、坂井泉水さんが24歳の時に「Good-bye My-Loneliness」で、歌手デビューを果たしました。
坂井泉水の恋愛事情
坂井泉水さんは、松蔭女子学院短大に在学中に街中でナンパしてきた一般男性と、約2年間交際していました。
交際男性は、過去に補導歴のある不良だったそうですが、坂井泉水さんに出会ってからは生活を改め、二人で海岸沿いのアパートで同棲していたとそうです。
ZARDの曲の歌詞には「海岸沿い」や「二人で夢見たあの頃」というキーワードがありますが、この男性との恋愛模様を描いているといわれています。
そして、元恋人の男性は坂井泉水さんが亡くなった半年後「僕だけがまだ生きている、その意味を君が僕に教えてよ。」という追悼本を出版しました。
また、恋愛に関して不器用だったという坂井泉水さんは、レースクイーン時代に同期で親しくしていたタレントの岡本夏生さんに「好きでもない男性に言い寄られている。恨まれないようにうまくかわしたいんだけど、どうしたらいい?」と、相談を持ち掛けていたそうです。
坂井泉水が闘病生活中に語った一言とは?
2007年に40歳という若さでこの世を去った坂井泉水さん。
そして亡くなる前年、ミュージックビデを撮影中に突然、腹部に激痛が走り救急搬送され、その際に子宮頸がんと告知されたそうです。
診断から2ヶ月後には、卵巣の摘出手術を受け退院しましたが、翌年には再発が認められ慶應義塾大学病院に入院し、抗がん剤治療などを受けていました。
子宮頸がんは、早期発見だと完治する確率が高い病気といわれていますが、坂井泉水さんは不幸にも癌が肺にも転移しており、ステージ4の末期と診断され5年後の生存率は23%と告知されていたそうです。
子宮頸がんとは
子宮下部の管状の部分を子宮頸部、子宮上部の袋状の部分を子宮体部と呼び、それぞれの部位に生じるがんを子宮頸がん、子宮体がんといいます。 子宮頸がんは子宮がんのうち約7割程度を占めます。以前は発症のピークが40~50歳代でしたが、最近は20~30歳代の若い女性に増えてきており、30歳代後半がピークとなっています。
国内では、毎年約1万人の女性が子宮頸がんにかかり、約3000人が死亡しており、また2000年以後、患者数も死亡率も増加しています。引用:日本産科婦人科学会
がんで闘病していた坂井泉水さんですが、亡くなった後に子宮頸がんになる前からずっと、ほかの病気と闘っていたことが分かりました。
実は、2000年頃から子宮筋腫、卵巣嚢腫、子宮内膜症と、次々に女性特有の病気に悩まされていたのです。
ずっと病気と闘ってきた坂井泉水さんですが、抗がん剤治療に入る前には「私、怖いんです」と、関係者に本音を打ち明けていたといいます。
そんな不安がありながらも治療には前向きで、2007年の秋にライブツアーやアルバムの発売を予定したり、亡くなる直前も歌詞を書き留めるなど、復帰に向けて準備していたそうです。
入院中に発行されたファンクラブの会報には「体調は思わしくないけど、頑張っている」というメッセージが記載されていました。
坂井泉水の死の真相は謎のまま?
2007年5月26日、ZARDの坂井泉水さんが亡くなったという、突然のニュースが流れ世間に大きな衝撃と悲しみを与えました。
亡くなった直接の原因は、闘病していた子宮頸がんではなく、入院していた慶應義塾大学病院の外にある、高さ3mの非常階段のスロープからの転落事故でした。
坂井泉水さんの所属事務所は「亡くなった理由は後頭部強打による脳挫傷のためで、自ら命を絶ったのではない」と強調しましたが、世間では現在も自ら命を絶ったのではないかと噂が囁かれています。
しかし、坂井泉水さんの転落事故をいち早く所属事務所が発表しましたが、その段階ではまだ捜査当局は事故と自殺の両面での調査をしていたというのです。
このフライング発表と、その後のインタビューで「自ら命を絶っ他たのではないと」強調する所属事務所の対応が、坂井泉水さんの死の真相について、更なる謎を深めました。
そして、転落事故とされている坂井泉水さんの死ですが、現場の様子から足を滑らせるには無理があるとも報じられています。
というのも、坂井泉水さんが乗り越えたというスロープの手すりの高さは、1.2mもあります。
「身長が165㎝の坂井泉水さんでは、足を滑らせただけで手すりを飛び越えるはずがなく、自ら乗り出さなければ転落はありえない」とされていたのです。
また、坂井泉水さんが発見された時間が午前5時40分頃だったため「時間的にもその場にいたこと自体がおかしい」という声もあがりました。
このような状況を考えると転落事故ではないとも見えますが、警察内部では遺書などが残されていない事や、亡くなる直前まで新曲の歌詞を書くなど、自殺の前兆行動が全く見られないこと。
そして、階段の手すりに坂井泉水さんの手の跡が残っていたことから、スロープに腰掛けてそのまま後方に転落した事故と有力視されています。
さらに、3mの高さから転落した事について警察関係者からは「その高さは飛び降りる高さではない」ともいわれ、坂井泉水さんの死因は事故の線で捜査が打ち切りになったようです。
まとめ
いかがでしたか。
今回は、ZARD坂井泉水の死の真相や闘病中に語った本音の一言について、お話ししてきました。
様々な憶測が飛び交い、未だ謎が多い坂井泉水さんの死ですが、闘病生活が続き病状も良くならない事で精神的に弱っていたため、将来を悲観し衝動的に身を投げ出したのではないかという人も多いようです。
坂井泉水さんの歌声には、何かにつまずき落ち込んでいる時に、沢山の人が励まされたのではないでしょうか。
この先も、坂井泉水さんの歌声を多くの人達に伝えていきたいものです。
最後までありがとうございました。
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