愛知県常滑市のコストコ中部空港倉庫店で、爆買い家族がいると話題になった大家族「穂苅家」。
一度の買い物で買い物カート5台分の爆買いに「穂苅家」はお金持ち?と話題になっているようです。
一家の大黒柱である父親の穂苅万博(ほかりかずひろ)さんのプロフィールや月収を調査してみました。
穂苅万博のプロフィール!
1970年大阪万博の年に生まれた51歳で、北海道の出身。
SMIという世界最大の能力開発組織のモティベーターになり、今年で25年目を迎えるそうです。
『チーフモティベーター モティベーション大学代表』
名古屋を中心として、最近では大阪にも活動の幅を広げ、SMIのセールスにおいては、常に世界トップクラスの成績を維持しており、今年で14年間連続入賞を果たしています。
モティベーターになってからの6年間は鳴かず飛ばずの成績だったそうですが、自身も売れない苦しみを経験してきたからこそ、現在は自信を持って原理原則をお伝えするモティベーターとして活躍しています。
そして、穂苅万博さんは4男4女10人の大家族「穂苅家」のパパ。
そんな大家族「穂苅家」が、コストコでの爆買いが話題を呼び、テレビ局や多くのメディアで注目されています。
そんな「穂苅家」の家族構成&家系図の記事はこちらです。
穂苅万博「ノブナカなんなん」20歳で月収130万!
北海道出身の穂苅万博さんは、高校卒業後ビックになりたい!と思い上京しました。
19歳の時に電気工事士として建築関係の会社に勤めていたそうです。
「経費を使いまくれ!」とバブル全盛期の時代、19歳で当時の年収が600万もあったというから驚きです。
もちろん、それなりの贅沢な暮らしをしていたようですが、正月休みで北海道の実家に帰省した時、同級生からネットワークビジネスを紹介されたそうです。
その時、穂苅万博さんは朝が早く夜も遅い生活にウンザリしていたそうで、お洒落なスーツ姿でペラペラ喋るだけで月収300万も稼げると聞き「これはやるしかない!」と思いはじめたんだとか。
毎日、朝から晩まで血管がブチ切れそうになるほど努力した万博さんは、4ヶ月ほど経った頃には、月収130万を達成したそうです。
そして、万博さんはブランドスーツに身をまとい、グルメや車にも羽振りをきかせていたそうです。
しかし、ある日を境に状況が一変します。
会社の社長から役員トップ6〜7人が、脱税の容疑でまとめて逮捕され会社は倒産。
その頃には、2000人の組織を構えていた万博さんは、お金の問題を解決するべく自分の車などを売却、さらに親から300万もの大金を借りて返金し対応したといいます。
そんな万博さんの周りからは、みんな綺麗にいなくなったそうです。
穂苅万博「ノブナカなんなん」24歳で月収1300万!
ネットワークビジネスで商材を売りまくり、20歳で月収130万を達成した穂苅万博さんは、一度は全て失うものの24歳で携帯電話のビジネスで起業しました。
東京デジタルホン(現在のソフトバンク)の携帯電話のセールスをしていた万博さんは、携帯電話の予約受注1台に対して8万円の収入があったそうです。
その当時の万博さんの最高月収は1,300万円と驚きの金額で、その頃の自分を振り返り「調子に乗っていた」といいます。
しかし、天国のような日はそう長くは続かず、販売手数料はどんどん下落し、8万円だったインセンティブが、たったの1,000円の時も。
80分の1まで売り上げが落ちた頃には、資金繰りはとても厳しくなり経営状況は悪化していったといいます。
その頃の万博さんは、絶対儲かる儲からない話に乗ったり、サラ金や闇金からもお金を借りるなどしたそうで、どんどん悪循環に。
周囲からは、もう会社を辞めようといわれても、社長のプライドを捨てきれず自身の承認欲求を満たすためだけに会社を続けたんだとか。
そんな万博さんは、売掛金や事務用品などのリース料など、個人負債として2,300万円を抱えることになります。
精神的に追い込まれた万博さんは、3度の自殺未遂をしたことも…。
現在は、世界最大の能力開発組織「SMI」の代理店を開業しモティベーターとして世界トップレベルのセールスを誇っているそうです。
まとめ
いかがでしたか。
穂苅万博のプロフィールとパパの月収を紹介してきました。
波瀾万丈な人生を歩んできた穂苅万博さんですが、営業マンとしてのスキルはズバ抜けたものがあるようで、多くの苦難を乗り越えてきました。
現在は、4男4女8人の子供たちに恵まれ、幸せな毎日を過ごしているようです。
これからも大家族のためにパパは奮闘していくことでしょう。
最後までご覧頂き、ありがとうございます。
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