元フジテレビのアナウンサーで、タレントとしても人気だった有賀さつきさん。
2018年に突然この世を去り、世間に衝撃が走りました。
当時、詳しい死因が公表されておらず、ファンの間で疑問の声があがっていました。
その後、父親によって有賀さつきさんの死因について明かされましたが、今回は有賀さつきの本当の死因と孤独死を選んだ理由。
そして、不倫会見での仰天発言や元夫との離婚理由がヤバすぎる事についてお話ししていきます。
是非、最後までお付き合いください。
有賀さつきのプロフィール
性別:女性
生年月日:1965年9月9日(享年52歳)
身長:170cm
出身:愛知県名古屋市
血液型:B型
最終学歴:フェリス女学院大学文学部英米文学科
所属:元フジテレビアナウンサー
有賀さつきさんは、1988年入社同期の八木亜希子さん、河野景子さんと「花の3人娘」と呼ばれ、アイドル的な人気を誇る女子アナウンサーでした。
フジテレビ退社後は、タレントやアナウンス講師など様々な場で活躍していましたが、2018年1月30日に52歳という若さで急逝しています。
愛知県名古屋市生まれの東京育ちの有賀さつきさんは、東京都立件高等学校を卒業後、フェリス女学院大学文学部英米文学科を卒業、1988年4月にフジテレビにアナウンサーとして入社しています。
東京大学を卒業しNTT勤務の父親の仕事の都合で、5歳から8歳までニューヨークに在住。
その影響か、英検準1級、TOEIC930点と英語力にとても長けており、グローバルな一面も。
大学時代には、ラジオや雑誌など様々なアルバイトを経験していたそうです。
そんな有賀さつきさんは「プロ野球ニュース」や「スーパータイム」「上岡龍太郎にはダマされないぞ‼︎」など、様々なジャンルの番組を担当し女子アナブームの火付け役的な存在となりましたが、フジテレビ入社から僅か5年目の1992年10月にフジテレビを退職しています。
翌1993年4月からは、テレビ朝日系の音楽番組「ミュージックステーション」にて、タモリさんのアシスタントを務めるなど、フリーアナウンサーとして活動を開始しました。
そして、1994年4月から1996年3月まで、テレビ朝日系「料理バンザイ!」で、俳優の滝田栄さんのアシスタントも務めています。
有賀さつきの不倫会見での仰天発言!
1995年、有賀さつきさんは写真誌に、当時の所属事務所の社長との不倫を報じられています。
その際の記者会見の席で有賀さつきさんは「今まで生きてきた中でこんな幸せを感じたことはない。奥様には申し訳ないけど結婚したい。私は子供を産んでもいい」などと、不倫が発覚しのにも拘らず、前向きな発言をしたことで世間から大批判の対象になってしまいました。
この不倫騒動が元となり「料理バンザイ!」からの降板が決まり、さらに結婚は叶わず破局を迎えてしまいます。
この事がきっかけとなり、有賀さつきさんは2000年に、一度芸能界を引退することになります。
それからは、海外ジャーナリズムのあり方に関心を持ち「英語放送通訳・会議通訳」の勉強、タレント養成学校で独自の話し方講座を編み出し、8歳から大人までを指導してきました。
そして、2001年からは全国で公演活動を開始すると、母校のフェリス女学院大学でも「アナウンス集中講座」の講師を務めています。
さらに、2002年からはNHK教育テレビ「手話ニュース」で8年間、ニュースリーダーを務めました。
有賀さつきと元夫との離婚理由がヤバすぎる?
こうして表舞台に戻ってきた有賀さつきさんは、2002年3月に元上司で13歳年上のフジテレビ解説委員、和田圭さんと結婚しました。
同月6日には、和田圭さんとの共著で「実演解説!小泉劇場」を出版しています。
また、同年11月には第1子となる長女を出産しました。
しかし、結婚生活は長く続かず、2006年5月に離婚を発表しています。
その離婚記者会見の席で有賀さつきさんは「妊娠の時から結婚は間違いだったかもと、思っていた。ちょっとした話をしても見ている方向が違った。まさに言語が噛み合わない感じ。振り返ってみると上司だった」などと、今まで “仮面夫婦”を演じていたと捉われかねない発言をしたのです。
また、長女の親権は有賀さつきさんが持ち、今後も育てていく事を明かしていました。
その後、共同テレビジョンのマネージメント協力で芸能活動を再開。
フェリス女学院大学とフジテレビのアナウンストレーニング特別講座の講師などを務める傍ら、テレビ朝日系「クイズプレゼンバラエティーQさま‼︎」など、バラエティー番組やラジオ、イベントなどで幅広く活動していました。
そして、2015年1月7日放送の日本テレビ系「解決!ナイナイアンサー」に出演した際には、和田圭さんと結婚に至った経緯を告白。
その当時、有賀さつきさんは和田圭さんと破局していましたが、別れた2日後に妊娠した事が判明したといいます。
仕方なく「子供ができたから刑務所に入る覚悟で」といった理由から、泣く泣く結婚したと明かしています。
有賀さつきの本当の死因と孤独死を選んだ理由
数々の仰天発言で世間を騒がせてきた有賀さつきさんですが、2018年2月5日に各メディアは、同年1月末に有賀さつきさんが亡くなっていた事を報じます。
詳しい死因などは不明で、同日のテレビ朝日系「ワイドスクランブル」では、横浜市内の実家で有賀さつきさんの父親にインタビューした様子が放送されました。
記者の「最後にどんな会話を?」という質問に対して父親は「もう会話どころか病院から連絡を受けてそれまでです」と答えています。
また、家族ぐるみの付き合いをしていたという近所に住む女性によると「有賀さんの娘にバイオリンを教えて仲良くなった。一番痩せていたのは2年前。お聞きしたらちょっと病気をしたと言っていた」といい、続けて「最近忙しそうで仕事を頑張っていた。最後にあったのは3ヶ月前で痩せていた」と話しています。
そして、同日の産経新聞によると、有賀さつきさんは昨年秋ごろ、親しい関係者に対して父親の介護と自身の体調が優れないことを理由に、いったん仕事を休む意向を示していたと報じています。
同日午後には、自宅前で父親が再び取材に応じ、有賀さつきさんは先月中旬頃から入院していたと説明しています。
また、本人は「病気のびの字も言わなかった」と振り返り、普段から体調の事を話すことはなかったそうです。
その為、父親も今回の入院をあまり深刻に捉えていなかったようで「退院できると安心していた」といいます。
しかし、1月30日の午前8時頃に病院から有賀さつきさんが亡くなったと連絡が入り、有賀さんの長女と一緒に病院に駆けつけましたが、最後を看取ることはできなかったと話し、31日に通夜、2月1日に密葬を終えたと明かしています。
また、同日夜には有賀さつきさんが入院していた、港区の山王病院前でも取材に応じ「娘は病状について誰にも知らせたくないということが分かりました。ですから皆様に囲まれても何も語れないのは、本人の意思だとお受け止めください」と説明。
父親も長女も病名を知らないといいます。
そして父親は、病名を明かしたくないとした有我さつきさんの意図を「他人に迷惑をかけたくないの一心じゃないですか」と説明しています。
このように有賀さつきさんは死亡当時、死因を公表していませんでした。
その後、関係者によると有賀さつきさんは癌の治療を受けており、乳癌と見られるとの情報が流れています。
しかし、スポニチの取材によると「死因は乳癌」との報道に、父親が「それは誤りです」と、強く否定したと報じました。
また、有我さつきさんが生前、銀行口座を整理していたとの報道にも「それは違います」と否定していたそうです。
同日の「週刊朝日」の父親のインタビューによると、長女の今後の教育については、和田圭さんと話し合い決めていくとされていました。
長女と和田圭さんは、普段もメールのやり取りをするなど関係は良好だと推察しているといいます。
そして1年後、父親が有賀さつきさんの死因は卵巣癌だった事を公表しました。
それまで様々な憶測での報道がされてきましたが、これでやっと有賀さつきさんの死因が判明したのです。
まとめ
いかがでしたか。
今回は有賀さつきの本当の死因と孤独死を選んだ理由。
そして、不倫会見での仰天発言や元夫との離婚理由がヤバすぎる事についてお話ししてきました。
今も尚、有賀さつきさんの死を惜しむ方が多いなか、彼女の生前を振り返ことで供養になるのではないでしょうか。
有賀さつきさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
最後までありがとうございました。
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